また刺激的なタイトルにしましたが、記事をご覧いただければ、内容は理解していただけるものと信じています。
2008年5月8日の日本経済新聞17ページ「大機小機」というコラムに書かれていました。別に共産主義のことではなく、「10年に1度のチャンス」というテーマで卓見が記されていました。

コラムを要約しますと、以下のようになります(六光星さんが書かれています)。

(1)アメリカはまだ金融不安で苦しんでいる。
(2)病巣はアメリカにあるので、アメリカとの差を詰める絶好のチャンスである。
(3)しかし、日本政府には期待できない。1,500兆円の個人資産に期待する。
(4)今こそ、投資を拡大、米欧金融機関に出資、海外からの人材受け入れを行うべき。
(5)現実は、定期預金が増えるなど安住の地に逃げ込む人が多い。リスク回避志向と金融機関の非力が日本の活力を殺いでいる。
(6)最近は、勤労者も終身雇用を支持し、貧富のない平等のない社会を望んでいる。内向きは投資だけではない。このままでは10年経っても未来派開かれない。

という至極真っ当なご意見です。私も100%同意します。

それで気になったのは、(6)のところです。

コラムには、「労働政策研究・研修機構の最近の調査によれば、成人勤労者の約九割が終身雇用を、七割が年功賃金を支持し、「自由に競争できる社会」(31%)より「貧富の差がない平等な社会」(43%)が望ましいとした。」とあります。(パーセンテージの部分は、原文では漢数字となっています。)

コラムの趣旨からは外れますが、書かせていただきます。

「貧富の差がない平等な社会」というのは、端的にいって共産主義社会です。

※共産主義ではなく社会民主主義ではないかという意見もあろうかと思いますが、資本主義の対極の概念として共産主義としました。

確かに、資本主義の下では、貧富の格差は拡大します。富める者はますます富み、貧しきものはますます貧しくなります。

でも、豊かになれる可能性は万人の前に転がっています。だからこそ、みんな、歯を食いしばって頑張るのです。アメリカンドリームを目指すのです。

能力や運に左右されるものの、努力しないと報われることはありません。

それゆえに、社会全体の活力が維持されるのです。

※もちろん規範的な側面から、格差の修正は必要と思います(代表例が所得税における累進課税制度)。しかし、その修正も行き過ぎではよくないでしょう。

かつて、「貧富の差がない平等な社会」を目指した国がありました。代表例はソ連と中国です。

結果は、ご存知のとおりです。両国とも市場経済を取り入れてから、大きく発展しました。BRICsに数えられるほどにまで成長しています。今後も成長し、日本は追い抜かれることでしょう。

「貧富の差がない平等な社会」を良しとするという意見が多数を占める日本の現状を見ると、本当にこれでよいのかと思います。

資本主義社会と共産主義社会の違いというのは、概略して申し上げますと、資源配分機能を誰が担うかということです。

資本主義社会では、資源配分機能を市場が担います。経済学を専攻された方にはおなじみのワルラスの一般均衡理論です。市場に集まったみんなが自分の効用最大化だけを図れば均衡を実現できるという考え方です。

共産主義社会では、資源配分機能を政府が担います。政府が市場の肩代わりするということです。

どちらが上手くいったかといいますと、市場に任せた資本主義社会です。

政府は、各人の効用関数を知りえません。それに携わる人間に汚職が発生する可能性もありました。

市場は英知の結集であったわけです。

とすると、話がずれますが、株式市場はどうでしょうか。

英知の結集ととらえるならば、インデックスファンドを買っておけばよいという結論に至ります(やや強引なこじつけ)。

話が横道にそれましたが、「自由に競争できる社会」こそが資本主義社会です。

資本主義社会でなければ、社会の活力が失われます。

私自身の考え方は、能力のある人にこの国をリードしてもらい、私を始めとするその他大勢の人は、その能力ある人に引っ張ってもらうという方法がよいのではないかと思っています。

繰り返し申しますが、行き過ぎない範囲での格差の修正は必要です。社会のセーフティネット及び再チャレンジの整備は必要不可欠です。